| 「その一発」五の一 | 水上 京 |
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よく晴れわたった翌朝、三人は、札幌をめざし足ばやに歩みをとっていた。 これまでと違い、清之助からはいくらか険しいものが消えていた。夕べはいくらか眠ったようだ。 「まことに、お内儀さまには申しわけねえで、ございますだ」 この言葉じたいにも、それがあらわれている。才次は面白くなかった。 多津与の無念を忘れたのか、と。 清之助の言葉に、杉村義衛は、快活に笑ってこたえた。 「いいってことよ。実はな、ちょうど俺もあきてきたころなんだ」 「お内儀さまにですか?」 「それもあるかな」 清之助と杉村義衛は声を出して笑った。 聞くところによると、杉村義衛は、内儀を娶(め)とったばかりらしい。 才次はチッと舌を鳴らした。 これから多津与の仇を討ちにいくというのに、二人の軽口が勘にさわった。 清之助は腕のたつ味方をつけて安心したらしい。 だが、さすがに札幌が近づくにつれて清之助の言葉もすくなくなってきた。 才次とその杉村義衛が出会ったあたりで、三人は、ひと息いれることにした。 道をはずれ林の中で、握り飯を喰らった。その間、三人はひと言も交わさなかった。 それぞれに考えこんでいた。 清之助の思いは分かるが、杉村義衛の思いはまるで分からなかった。 途中で、逃げるのでは、と才次はときおり疑ったりもした。 「さて、行くとするか」 杉村義衛の言葉に二人は、すばやく支度をした。 と、杉村義衛が、 「すまん。ちと待ってくれぬか」 そういうなり慌てて茂みの中に入っていった。 才次はため息をついた。 わけは分かっていた。また、腹の調子が悪いのだ。 才次は立ち上がったその場にまた腰を落とし、 「おやじさん、腕はたつけど、だいじょうぶですか」 清之助は苦笑いして、 「才次、心配ねえ」 「心配ねえたって、どこの誰だかわからねえさむれえじゃねえですか」 「俺が、だいじょうぶ、と言っているんだ。おめえは黙ってろ」 才次はそのままふてくされ、そっぽを向いた。 しばらくして、初めて出会ったときのように頭をかきながら、杉村義衛は茂みの中から出てきた。 「待たせた」 そう言って才次のふくれっ面をみて、 「お、どうした、若いの? 親父どのと喧嘩でもしたか?」 才次は返事をしなかった。代わって清之助が言った。 「それが杉村さま、才次は、杉村さまの素性がわかないことが不満のようで」 杉村義衛はちょっと意外な顔をして、 「なんだ親父どの、言ってないのか」 「へえ」 「言っていいぞ」 清之助は慌てて、 「で、でも、杉村さま」 「大事にむかうとき、仲間のことが分からないと、うまくいかないものだ」 「しかし―――」 杉村義衛は飄々として言った。 「俺は、素性を知られたから、助太刀するつもりになったわけでない。それに、俺のことを知ったら、若いのも安心するだろう。いや、逆かな」 と、笑い出した。 その間も才次はなんだか虚仮にされているようで面白くなかった。 それでも清之助は言い渋っていたので、杉村義衛は自ら、言い出した。 「才次といったな。俺は、いまは杉村義衛を名乗っているが、いぜんはちがう名だった。いいか、それを知ったら、抜けさせんぞ」 と、杉村義衛は笑いながら、才次と立場が逆のようなことを言った。 「俺はな、元新選組隊士、永倉新八というものなんだ」 才次は、永倉新八ときいてもどんな人物なのか分からなかったが、新選組の名は聞き知っていた。 さすがに、その名には足がふるえるのを覚えた。 新選組の名は、当時、知るものにとって、恐ろしいものだった。 多くは、殺人集団と伝聞されていた。 そうか、なるほど、強えはずだ―――。 と、さっきまでの不満は吹き飛んでいた。 それなら、多津与の仇が討てる、ような気がしてきたものだった。 だが、才次は、この永倉新八なる者の真の姿をまだわかっていなかった。 永倉新八とは、新撰組のなかでも、副長助勤という幹部の地位にあった男である。新選組局長の近藤勇が試衛館という道場主であった頃からのつきあいのままに、土方歳三、沖田総司らとともに江戸から京都へのぼり、新選組を結党し、幾多の白刃戦火をくぐり抜けてきたのだが、不思議なことに見えざる手に導かれるように生への道を歩んできたのだった。 もともとはこの蝦夷地の松前藩士であったところから、いまは、その松前藩の医者であった杉村松伯の娘と夫婦になり、養子として名を変え、小樽にて日々を送っていたのだった。 その隣家に住む船大工の姓が斎藤といい、清之助の弟にあたった。清之助は以前、弟が、隣りに元新選組の永倉新八という人物が杉村義衛という名にあらためて暮らしている、とうっかり口を滑らせたのをおぼろげに覚えていたのだった。やはり、新選組、という一語が焼き付いていたのだ。 新八が、似ている、と言ったのは、隣人の弟と清之助のことだった。 清之助が小樽の水天宮でやったことは、大きな賭けだった。それは恫喝でもあり、一つ間違えればこの新八に斬られても仕方がないようなことだった。 なぜなら、明治政府、つまり薩長の新選組に対する恨みはすさまじいもので、親類縁者まで身を隠さなければならないほど執拗で厳しいものだった。 新選組副長助勤といえば、大物である。 清之助は、 助太刀してくれなければ―――。 と、暗に脅したわけである。 官軍や貧困に追い立てられて、この蝦夷地・北海道に渡ってきた者たちの間では、過去にふれあうことはあっても、傷にふれあうことはない。 たまたま触れてしまっても、すぐに避けるか、深入りしない風習がいつしか生まれていた。 ゆえに、清之助にとってのこの恫喝は、苦々しいものだったが、多津与の仇を討つためには、やむ得ない手段であった。 賭けがうまくいったので、清之助も軽口をたたく気分に少しはなったのだろう。 「黒田を懲らしめるのも、面白いか」 こう言って、新八は折れたのだった。 「だが、金はいらんぞ」 「いいえ。受け取っていただけねば、永倉さまのお心をこちらに置いてもらった証しにはなりませぬ」 「いうものだな」 新八は、差し出された金包みを懐におさめ、 「仇討ちがすんだら、返そう」 と、言った。 その頃、真の意味で、新八は退屈していた。 維新の真っ只中に身をおいてきた新八にとって、いまの隠れ身のような境遇に満足するわけがなかったし、妻女との仲もしっくりいってなかったのも事実だった。 このときの新八は、まだ三十八歳である。 神道無念流をつかい、新選組にあって、剛剣の土方歳三、剣の天才といわれた沖田総司らに一目も二目もおかせた剣術家である。まさに剣の腕も鳴っていたといってよかった。 新選組の名を一躍世に知らしめた、京都三条河原町の池田屋事件では、近藤勇と沖田総司、そしてこの永倉新八の三人で、三十数名の尊皇攘夷の志士がいる中に斬りこんでいったのである。この時、新八は、左親指を切断したとも斬ったとも言われている。尊皇攘夷側は、九人斬り死にし二十数名負傷し捕らえられている。また、近藤と対した局長の一人芹沢鴨の暗殺にも加わっている。などと、この永倉新八は、新選組が関与したという事件や騒動にはほとんど身をおいていたと言ってよかった。 一説によると、戦場以外で、人を殺めた多さでは、剣術家の歴史上では、沖田総司につぎ、しかも相当上位に位置するのではと言われているのだが―――。 だから、と言って、剣や血に憑かれたり、異常な精神や、思想上で特異なものをもっていたわけではなかった。このあたりに生き残ったきた理由(わけ)が見えるような気がする。 だが、いまの新八は、 ―――できることなら、血はみたくない。 そう思っていた。 これまであまりにも、無駄な血や死を見すぎてきた。 多津与という娘のことは慚愧にあたいする出来事だが、これいじょう血を流しても、と思うのだった。 いまは要職にある黒田を殺ったところで何の益もない。 ましてや、新八が自ら警吏のまえに姿をさらし、きびしく追われる身になるつもりはなかった。 ―――どうするか。 と、思案の最中だった。 ―――それにしても、ひでえ顔をしてる。こんなになるものなのか。 横目で、清之助の顔をみて、そう思った。 ―――心は人の顔をかえるというが、娘ごが事故に遭い死するまえは、きっと浜の男としていい顔をしていたのだろうに。 この数日ばかりで、清之助の顔は、ひどく変わっていた。 造りがかわったわけではない。悲しみにくれただけの相貌なら、新八に、ひでえ顔と思われなかっただろうが、そこに恨みと憎しみが綯(な)い交ぜになった強い復讐心によって、人としての相が崩れ、鬼相になっているのだった。 ―――死んでしまった者は、死んでしまった者だ。残された者が、死んだ者を中心に生きていても仕方ねえ。 だが、そうなるべき決別の儀式が必要なことも新八には分かっていた。そのことへどうするか、だった。 新八の胸には、近藤勇をはじめ刑死や斬り死にしていった新撰組の者たちが、よく浮かびあがってくる。 新八は、死も生も受け入れるすべは知ってはいた。だが、それは人それぞれで知っていくしかない。 あとに来る、才次の顔をちらりと見た。 ―――娘ごと契りを結んだと聞いたが、黒田を斬ったら、それだけで一生は終わってしまう。面白えことがこれから山ほどあるというのに。 一見すると、清之助より思い詰め、険しい顔をしているが、清之助のように相までにはなっていない。 それは多津与と過ごした時の差と心をかけた度合い、中身のちがいであろう。 とにかく、この二人をできることなら死なせずに、済ませたいと考えていた。 「おれ自身は、黒田に斬りかかるつもりはない。それでよかったら、助太刀してやる」 そう言われて、 「仕方ないでございますべ」 新八を味方にしただけでも上出来である。しかし清之助にはかれなりの胸算用があった。いくところまで、まずいくことだ、と思っていた。何が起こってもいいように、清之助は、秘かに、藁包みのなかに隠した刀のほかに、懐中に匕首(あいくち)をのんでいた。 三人は、夕焼けが燃えはじめた頃、札幌に入った。 明治の初めには、たった二人のみ、という人口の札幌だったが、この明治九年には、二千六百十五人までに膨れあがり、戸数は、七百八十戸までになっている。 三人は、市中を通りぬけようとしたとき、蹄の音が聞こえてき、それがすぐに大きくなり、突然といった感じで、横手の路から、疾走する馬があふれでてきた。 いななきと砂塵が怒涛のごとく逆巻き、三人の面前に迫ってきたのだ。 馬群を交わそうとして、清之助は転倒した。 「おやじさん!」 危うく踏みつぶされそうになったその清之助を、才次と新八が間一髪で、助け起こした。 「馬鹿野郎、気をつけろ!」 叫んだのは、才次たちではなく、馬上の馬追いの男たちだった。 「海とは勝手がちがうもんだな―――」 難を逃れた清之助は、そうつぶやいた。あれほど豪放でかつ敏捷だった清之助がまるで老人のように鈍い動きだった。 馬の群れは、馬追いに率たてられ、野へ放たれに行くところであった。 馬たちは、朝にまた集められ、馬引きの具に使われるのである。 この市中駆けは、当時の札幌において、朝夕の風物の一つとなっていた。 才次や清之助はそのことを知らなかった。 この馬たちの産物である馬糞は、乾燥すると風によくのった。 馬糞風という言葉は、つい昭和の中期まで残っていたものである。 基盤の目に区画された市中を過ぎ、石狩川から石狩湾への水路として掘られた創成川を渡り、いくらか行くとすぐに閑散とした郊外になる。 その一帯にひろがる果樹園内に掘立て小屋をみつけた三人は、そこを塒(ねぐら)とさだめ、その夜は深い眠りに落ちていった。 |
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