| 「その一発」 六の二 | 水上 京 |
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新八は、待っていた。 新八は新選組や暗殺者がよくもちいた手だてをつかうつもりだった。 それは、女、である。 襲撃された者のおおくは、囲った女や馴染みの娼妓のところへ足をむけたとき、または帰路に、死している。一人で出向いてしまうからである。 黒田が妓(おんな)のところへ出向いたときが多津与の恨みを晴らすときだ、と清之助と才次にも告げてあった。 だが、秋風が吹く頃になっても、黒田は、本庁と住まいにしているガラス邸を行き来するのみで、いっこうに外出をする気配はなかった。 三人は、交代でガラス邸の周辺をうろつき、機がくるのを待った。 新八の腹病みは、その日その日によって変化したが、いまのところあの夜ほどの痛みがくることはなかった。 この頃、黒田には妓はいなかったようである。 東京にある妻は、病弱で臥せていたが、黒田はこの妻をよくいたわり、他所に妓をつくることは今のところしなかったようだ。 しかし、黒田は、ついに動いた。 「東京楼に入った!」 才次が、夜の帳(とばり)が降りたころ、掘立て小屋に息せききって飛びこんできた。 おもわず、新八と清之助は見合った。 東京楼は、薄野遊郭にあった。それは官費によって建てられた青楼である。わざわざ東京品川から遊女を呼びよせ造られたものであった。 薄野遊郭そのものも官許されていた場所である。 これらは粋な計らいというより、この未開の地から逃げ出す者をふせぐ目的と、入植者を募る手段のひとつだった。 黒田は我慢できなかったのである。 だが、女にではない。酒に、である。 黒田は、札幌に来ていらい断酒とまではいかなかったが、酒量を減らしていた。 その理由は、クラークが学生たちに飲酒の害を説き、自らも手本となるためにアメリカから水がわりに持ってきた葡萄酒さえも叩き割って、その姿勢を強く示したのである。 教育に熱い期待を寄せる黒田としては、クラークを支援する手前、おおぴっらに飲むわけにはいかず、酒を控えていたのだった。 黒田は妙な生真面目さに支配されていた男のようである。 邸内で、隠れるように独酌していても、旨いわけがなかった。本来黒田は、大酒飲みである。酒乱の黒田は、独りで飲んでいると、身辺の暗さが胸中に沈殿しはじめ、息がつまりそうになってくる。その沈殿物を消すには、酒の酔いに身をまかせるしかなかった。 黒田は、五臓六腑に酒を満たしくなり、ついに腰をあげてしまった。 小躍りするように先ゆく才次に遅れまいとして、新八と清之助は、足を早めた。夜空には、晧晧とした月があった。 今夜は、二人にも刀を持たせた。匕首も清之助に渡した。だが新八は、清之助と才次に刀を使わせるつもりはなかった。その自信はあった。 示現流の一の太刀をはずしたあと、黒田を捕らえ、足か腕を、二人にぶった斬らせてやるつもりだった。 やれるとこまでと、清之助は言った。やれるとこまでとは、そこまでだ、新八は、そう判断していた。 薄野遊郭は、東京にある新吉原の不夜城とまではいかなったが、それなりのにぎやかさを見せ、東京楼を中心に幾つかの女郎屋があり、繁盛していた。 すすきが茂り、鬼燈(ほおずき)の匂いにむせ返る野原から、薄野遊郭が見わたせ、総二階の東京楼の灯かりもよく見えた。 「連れは、何人だ?」 背の高いすすきの中に身を潜めた新八は、横の才次にたずねた。 「二人いた」 「うむ」 「二人くれえなら」 清之助は、そう言った。 「おやじどの、くれぐれも気長にな」 先の例があるので、新八は、また念をおした。 清之助は無言のまま、夜に浮かぶ東京楼の灯かりを見据えていた。 新八は、ふと、黒田を討たせてやりたい気もちが湧きあがったが、それをむりに払った。 「出てくるのを待つ」 新八は、そう二人に言った。 それから、三時間。 むらがるやぶ蚊をはらい、東京楼のみに目を凝らしていた才次と清之助、そして新八の息がとまった。 「黒田だ」 東京楼の表口に三人の男があらわれた。灯かりを背にした三つの影は、見送りに出てきた遊女たちともつれあい揺れている。男たちの影の一つが大きな頭蓋をもっていた。 その大きな頭蓋、黒田の影がしきりにほかの二つの影に絡んでいる。離れては、追い、その間にときおり女が入りなだめように制している。大声もあがってくる。酒乱の黒田が、二人の連れに絡んでいるようすだった。 やがて、持てあましたように、二つの影は黒田から遠ざかり、逃げるように去っていった。 黒田はひとしきりなだめる遊女たちに絡んだあと、おおきく手を振りはらい、そのあと揺らり、歩みだした。 新八は、すっくりと、立ち上がった。 「急くことはないぞ」 清之助と才次に言った。 「ゆっくりと黒田につき合ってやろう」 静かに野を駆けおりた三人は、野道に出た。 この辺りは、一歩道を外れると、草深い野や雑木林に踏み入ってしまう。 夜道を、酔いにまかせ歩む黒田の姿があった。かなり酔っている。体が大きく傾ぐことはあっても、倒れこむことはなかった。 黒田は、酔態ながらも、ガラス邸への近道をとったようだ。 その先は、雑木林へとつづいている。 三人は、歩みを落とし、黒田との間を保った。 どうやら、黒田は刀を持っていないようだ。 新八は、そう見たが、口にはしなかった。 雑木林に黒田の影が消えたとき、新八は、言った。 「林の中で黒田を捕らえる。走るぞ」 新八の言葉に、清之助も才次も、身を低くして、走しりだした。 そのときだった。 「うっ」 新八が大きく唸った。 激しく腹が痛み出したのだ。夜気と夜露が悪かったのか。 しかも激痛だった。たまらなく新八は、腹をおさえ、道端にしゃがみこんでしまった。足もつり、満面に脂汗が噴き出てきた。 ひたすら黒田を見逃すまいと先に目を据えた清之助と才次は、その新八に気づかずに駆けてゆく。 新八は、二人を止めようとした。 が、声を出そうにも、出なかった。 迂闊だった。新選組にあって命を賭す襲撃のときでさえ、尿意すらもよおすことのなかった新八であったが、平時に気も体もゆるみを覚えてしまったのか、そんなおのれに歯ぎしりした。 斬ってはいかん! 新八は、唸るしかなかった。 清之助の目にはもはや黒田の影しかなかった。 才次も頭に血がのぼり、多津与みてろ、と胸の中で雄たけびをあげていた。 清之助が遅れ、才次が先に林の中に入った。 黒田の姿がない。 才次は、かまわず進んだ。 闇の中に、揺れる影があった。 才次は立ち止まり、抜刀した。叫ぼうとしたが、声にはならなかった。前に刀を構え、 「うおお―――!」 一気に黒田の背に迫り、後ろから刺しかかっていった。 黒田は、才次の声に敏捷に反応したのか、偶然なのか、体が右にゆらり傾き、結果として身をかわした。 黒田のまえに出た才次は、振り返り、態勢を整えた。 「なんぞ?」 黒田は酔眼を、ちょっと驚いて大きく見開いた。 肩で激しく息をつく才次は、黒田をみて、殺れると思った。そしてわずかにひと呼吸おいた。 そのひと呼吸だった。黒田はあっというまに間合いを詰め、一瞬立ちつくしただけの才次の刀を奪いとり、才次を蹴倒した。酔っているとはいえ、漁師と武術を身につけた者の差はおおきかった。 才次は後ろの大木に頭を強く打ち、 うう―――。 と、気を失ってしまった。 そのとき遅れた清之助が、黒田の背後に迫り、刀を抜いた。 同じく息切れしていたが、才次とちがい落ち着いていた。 「黒田! 仇だ」 黒田は振りむいた。 「なんでもす」 「わしは、祝津村でおまえさまの撃った大砲玉のせいで命を落とした娘多津与の父親でごぜえます。その多津与の仇を討ちにまいりました」 黒田は聞いているのかいないのか、相変わらず酔いで体を左右に揺らせていた。 「いくら開拓使長官だからといって、罪もねえ娘を殺しておいて、金で件(こと)をすませようとは、畜生にも劣る仕業だ」 怒りで、清之助の全身は震えた。 「可愛いお多津を、あんな目にあわせやがって、許せねえ!」 黒田の酔眼が光った。 「仕方なか―――」 黒田はひと言いうなり、手にしている才次の刀を振り上げ、 うおっ!! と、突然狂ったように刀を横の大木の幹に叩きつけた。 刀は音をたてて折れた。折れた刀先がびゅんとはね返り、黒田の左頬をかすめ切った。 頬に手をやり流れついた血をみて黒田は、にっと笑った。そして斬れるものなら、斬ってみろといわんばかりに、ぐいと一歩押し出てきた。 ひるむ清之助ではなかった。 「お多津の仇だ!!」 上段から、黒田に斬りかかった。 だが、なんなくかわされた。清之助は、斬り返した。それもかわされ、また斬りかかった。 なんどやっても無駄だった。清之助の腰がふらつきはじめてきたとき、黒田は、大きな声を発して清之助に飛びかかっていき、投げ飛ばし、刀を奪いとった。が、つぎに黒田はなにを思ったのか、清之助を刺さずに、刀をまた幹に叩きつけ折った。 次に起き上がろうとした清之助の馬乗りになり、狂ったように顔面を殴りつづけた。もはや酒乱の業だった。 清之助は、海で鍛えた力を振り絞り、黒田をはね飛ばした。だが、立ち上がった黒田に、何度襲いかかっても、跳ねとばされ、倒れるたびに殴られた。顔面は、血だらけだった。 くそお―――。 地に伏し、動けなくなった清之助のうめきだった。 「無駄でもそ」 黒田は吐き棄て、打ちのめされた清之助を尻目に、ふらふらと歩き出したが、さすがに酔いと闘いで疲れたのか、突然どかっとその場に腰をおとし、胡座をかいてしまった。 そこへ、ようやく新八がたどり着いた。 ふらつきながらも、刀を杖がわりにしてきたのだった。腹の痛みは、少しづつ遠のいていた。 清之助が立ちあがりかけていた。 生きていたか―――。 新八は、いくらかほっとした。 清之助は、懐から匕首をぬき、地べたに胡座をかき、目がすわったまま肩で息をついている黒田に、ふらつきながら近づいていた。 新八は、 よせ! やっと出る声で制した。 刺せる――――。 清之助の判断はまちがいでなかった。 清之助は匕首を握りしめ、黒田の正面から迫った。 「多津与の仇だ! 思い知りやがれ!」 恨みのこもった罵声を発した。 次にあがったのは、黒田のうめき声ではなかった。 それは闇の雑木林を劈(つんざ)く音だった。 新八が見たものは、黒田へ向かっていた清之助が、逆にそのままの姿勢で後ろに吹き飛ばされている光景だった。 黒田の手には拳銃が握られていた。 「おやじどの!」 新八は、倒れた清之助に近づき、声をかけた。腹を撃たれている。 「おやじどの!!」 意識はあった。 清之助は苦しげに口をあけ、 「―――せめて、一太刀でもあびせたかった―――」 そう言い、そして 「お多津、すまねえ」 清之助の眼から涙があふれ出てきた。 「おやじどの。俺がやってやる」 と、新八はついに言った。 「いいや。永倉さま―――。永倉さまには、これいじょうご迷惑は―――。あの世から、お多津といっしょに、黒田の―――やつを―――呪ってやる―――だから―――」 と言い、しばらく苦しげにあえいでいたが、やがて息絶えていった。 「おやじどの―――!」 新八は、黒田が拳銃をつねに帯び、名手のうえに、大砲と同様に、事あるごとに撃ちまくる癖があることを知らなかった。 激しい怒気に新八はつつまれた。 清之助の手から匕首をとると、立ち上がり、ふらつきながら黒田のまえに立った。 黒田は撃たなかった。その酔眼はもはや新八をとらえることはできなかったのだ。 「仕方なか――――――」 黒田は朦朧(もうろう)とした意識のなかでつぶやいている。 新八は、匕首を捨て、全身からくる怒りに強く握り拳をつくり、さらに渾身の力をこめて、黒田の左こめかみを殴りつけた。 「うっ------」 その一発で、黒田は、見事なほどぶざまにひっくり返っていった。 |
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